2021年9月17日金曜日

凹凸平

 最近は毎日絵をinstagramにあげる機会に恵まれてる。

城南島でわたしは最初からこれが

したかった!

素敵な出会いの中で自由ではあったけれど

紙媒体や店舗の絵など形を変えて

お仕事の中で

描くのがわたしの絵画の在り方だったから

一度自分の作品と向き合って

みたかったのです。

そう言って入ってきて結局

4年目にしてできつつあるありがたみと

サポートしてくれてる城南島には

ほんとに感謝。

スタイルとかいろいろ考えてみたり

仕事でもいろいろ描いてきたけど、結局

一枚に自分の全てを載せてスタイルと

いいきる事は今のところ不可能だなと思ってきた。


自分の部分部分を認めて一つづつやってく事にして

みてる。いつかスタイルとか完成するのかな?


凹凸ある時もあるし平な時もあるけど

一度全部開いてやってみようと思う。

森美術館で見に行った、

アナザーエナジーを見に行ったら

尚更そんな事を思う。




2021年9月3日金曜日

4年目

 城南島での制作は後1年。

この植物と共にここにきてとても育ってる。



一度目の緊急事態宣言の時は流石に

城南島も閉まっててその時わたしは

植物を置いて行ってしまった。

取りにいくか迷ったけどまだまだ得体の知れないウイルスに皆が恐れてた頃だったから飽きらめてた。

だけど2ヶ月後枯れないで待っていてくれた。

後一年。その逞しさに驚くと元気もらってる。

曇り空にますます光ってるよ❤︎






2021年5月17日月曜日

良し悪し。きっとそれは良し悪し。

最近仕事した日立物流さんのLOGISTEEDcafeでの作品が
upされた。作品見て声かけてくれたのが
ちようど、コロナでcafe de dianaの展示が無期限延期になった頃だった。

すごいタイミングと、いずれもフランス語でcafe表記されるという場所というのもきっとこれはなんだか偶然だ!と勝手にワクワクして即決だった。

そもそも、わたしが絵を描き出したのはカフェギャラリーで展示したいなーと思ったのが始まりだった。それから仕事になって行くけど、クライアントは様々な国の様々な時代をモチーフに仕事を依頼してくれていた。

それはもちろんその時代にいないから
少々の読書や音楽からの妄想にすぎないのだけど、それは結構面白い作業で
あまり拘束されてる感はなかったというか、勝手に解釈してその中に自分をどんどん取り込んでいけた。

で、何が良し悪しというと、
イノベーションとcafeってキーワードが
来たから、それだけで勝手にピカソとかの頃だろうと思ってプランしたのだけど、
そのプランをだした後、
ちょうど社内で事前にそういう案がありました。
って後から聞いたけど、なんか言われた事やってるみたいな感じに書いてある
ように見えるけど、だいぶ勝手に考えさせて貰った。


社会人への見た目のためだと思うけど、
物流の人手不足とか、昭和から令和への
転換とかいろいろ最近気になる事が
解決するなら 特に気にならなかった。


TSUTAYAを、
CCCって書けなかったり、
なんだか社会人には謎の趣味が
あるけど、みんな心地よく働けると
いいとは思う。それがきっといろんなところへの歪みが自然に近づいてくれる
に違いない。

絵だって拘束を感じるといつだって
うまくいかない。
例えタイトルがあっても、どこかで
自分にとって自由を感じるように解釈と
そこへの納得なしで絵は描けない。

そして今回の件でもう一つ
わたしは郵便局の娘と言う事も手伝って
物流には素敵な令和を過ごしてもらいたい
と心から思うのです。

という感じ。



2021年3月11日木曜日

東日本大震災から10年

 東日本大震災から10年。


3.11の今日は城南島で制作していて
14時頃に屋上で書いている。

穏やかな海の脇を通ってスタジオに来たけど
穏やかな海は、10年前の今日人間には敵わない
恐ろしい海の姿に変貌した事は
決して風化してはいけないていう
空気に屋上では少し近くに触れられる気がする。


黙祷を。

同時に家族が震度6強の地震に
2度も遭い、ひびが入った建物や
倒壊した墓地を目にしたわたしが
思う事は
どこにいても同じ事が起こる可能性が
考えられるってこと。

綺麗な日本の街にいると
つい のんびり恐怖と かけ離れて
いるかと思ってしまうかもしれないけれど

郡山だって昔は地震に強いと言われていたし、
実際 郡山に住んでいる頃の地震の記憶は
震度4位の地震に驚いて祖母がテーブルに隠れた
記憶くらいしか覚えていない程度。

今では震度4くらいでは
驚かない。

ちょっと話しは それるけど、
よく旅行のガイドブックに海外のスリについて
書かれていて海外行く時には 皆気をつけると思う、
それとは逆に
日本では財布が戻ってきます
なんてアピールがあったりする。

だけど、わたしの人生で
スリにあったのは日本でしかないし、
落とした財布を拾ってそのまま警察に
届けてくれたのは
中国人だったことしかない。


汚い事に蓋をするかのような
綺麗な街に住む事は一見快適なように
思えるけど、
自然に人間は敵わないし
綺麗な事だらけというのがそもそも不自然
で汚い所も含めて自然というか
片一方だけじゃないという感覚。
もちろん人間も自然の一部だから
いろいろとあるし。

まだまだ、被災の傷跡が残る中
いろんな
場所で地震が起こっていたり、
感染症の問題まで抱えていたりと 
不安定な気持ちが続くのかもしれない

自然と共に暮らす
人間の私は常に
本来の多面的な自然を感じて生きるのを
大切にして
自然の一部として人間の感覚を
磨かないと不安や恐怖に負けてしまう。

でも磨いたらなんとかなるんじゃないかなとか思って自分に励ますのでした。







2021年3月1日月曜日

春の前の寒さの深さ

今日は本当に温かくて
ギャラリーを回っていたけど
ちょっと厚着をしてきたみたい。
電車が暑いくらい。

昨日はその分ほんとに寒くて
それは気温だけの問題じゃないような。

今月の14日に郡山では再び
地震が起きて1度父母の様子を
みに郡山に1度行きたいのにいけない
フラストレーション。コロナは全くもう。

しかも3月になったら少し忙しく
なるからスケジュールとの
戦いも始まるし気持ちだけが
前のめりの感じ

そして地震と共に以前の地震の
時の事柄を思い出して
少し重たい気持ちになるという。

それなのに実際地震にあった父母は
元気そうにするから、
頼むから無理しないでほしいよー。
わたしが落ち込みやすいのか。

そんなこんなで最近の
寒い日の寒さは春だけど深く感じる。

ほんといろんな事に
考えすぎるけど
一日一つでも
いいから何か進もうという気持ち。
もう、ほんと欲張らない。
だけど落ちすぎないで
一個やればよいとして。

落ち込んでも1個動いてたら
少なくても元気な時に何もしない
自分に落ち込む事はない。

さて今日も少しは動いたし金華堂で
新しいクロッキー帳でも買って帰ろう。

金華堂さんに特別にお願いした
厚いパネルキャンパスが仕上がってて
テンションあがる。
最近このパネルが定番化してる。






2021年2月10日水曜日

京橋を歩く

 最近は京橋にある会社の中にあるカフェ

に展示する絵を作成する予定があって、

今日は京橋のビルに展示する壁の採寸に行ってきた。

気づけば、ずいぶん東京駅の付近に住んだり

仕事したりしている事を思った。

初期に荻窪や中野や神奈川だけど川崎に住んで

暮らした東京とはまた東京に対する

感じ方はずいぶん変わったと思う。


ちょっと仕事と別件で飲みたいなと思う事があって

飲みながら裏道を歩いていたら

橋と川に出会う。高いビルの麓には

川がすぐ近くで流れていた。

神田川もそうだけど、土手とかって少しづつ

人間が安全なように高くしていってるだろうし

その前は本当、すぐ近くが水だったんだろうな

とか思った。


今日の気分とその眺めにアルコールが

混ざったせいか

なんか儚さと美しさみたいな

感覚。
















Manuharleo

 Manuharleoはわたし神山麗子と相方の中村雅人

(マサヤン)が2人の総称を2人の中で呼ぶ時の名前なのです。マサヤンがトランペットの近藤等則さんにマヌーという

名前をつけられた事があるという話と

マサヤンが私をレオと呼ぶ事が始まりで

意外と便利に使っています。

実は2人は11年一緒にいるようで、

最近ようやく冷静にマヌハレるようになった気がする。 やっぱりそれまでは

それぞれの過去の介入は否めなく、

まさやんw/れいこ か れいこw/まさやん

の図が基本的だったと思うのです。

お互いに視野を広めた感は

あるんだけど、

今後深くそして丁寧にマナハるために

わたしはフルートをはじめてみました。

昔ヴァイオリンをやっていたから、

ヴァイオリンにすれば。という感じなのだけど

マサヤンの金のフルートの使用許可が出たから

1から始めてみようと日々音楽についても深めようと

試みてます。何しろ、わたしのアートのテーマは

colorsoundsだし、きっとこれは神山麗子にもポジティブなはず。

ひとまず今はマナハール先生とレオ生徒という

ところなんだけど、一歩づつ。